10、典型的な一日

ヒモ化のプロセスなんて言ったものの、
特別な何かなどあろうはずはなく
ただ、なしくずし的に働かなくなる男と
それを養う女がいると言うことに尽きた。


僕の場合も、そのうち、そのそのうちとバイトを探すのを繰り延べているうち
持ち金が、あっという間に底を付いた
なぜだか町田のレコード屋さんでディズニーのCD三枚組みのボックセットを買って
最後の一万円札を崩したのを鮮明に覚えている。


というわけで
お金はなくなった。


Yは当時、薬科大の4年生でとにかく実験に忙しかった。


だからというわけでもないけれど
まだ僕の手持ちのお金が尽きる前に
自分で材料を買ってきて
Yの好物だと言う親子丼をさんざん試行錯誤して作ったのをきっかけに
(なぜかこのとき食卓にプラムがあったのを覚えてる、
はじめて自分でくだものを買ったせいかもしれない)
いつの間にか僕が夕飯のしたくをするようになっていった。


そのうち、Yは出掛けに夕飯の食材代として千円ぐらいを置いていくようになった
今から考えるとだいぶ少ない金額のような気がするけれど
当時はこれで、二人分の夕食費と僕のタバコ代をまかなっていたはずだ
考えてみると本当にそれで間に合ったのかどうかかなり不思議な気がする。


僕は、金のかからない男だった
そもそも部屋にいるのが大好きでどこにも出歩かないし
ギャンブルもいっさいしない
アルコールは一滴も飲まなかったし
趣味らしい趣味もない


ただ本さえ読めればよかった
本なら図書館で借りられたし、古本屋の店頭で百円でも買えた。


考えてみれば僕は小学生ぐらいから基本的にはずっとそうだった
家の中で本を読んでいれば、いくらでも時間がつぶせた。


そしてギター
高校時代バンドでギターを弾いていたというYは僕より
ずっとはるかにギターが上手だった
というか、まぁ当時の僕より下手な奴はなかなかいないと思うけれど
僕はYのギターで練習を再開した
いつかは流暢に弾けるようになると信じて
気が遠くなり様な長い道のりを辿り始めた。


言うのも恥ずかしいことだけれど
当時の僕はいつかロック・スターになるつもりだった。
なんととまぁ凡庸なダメな男のパターンにはまっていた事か!


そしてヴォイス・トレーニン
新聞配達時代に本を通して、この自分にとっては新しいメソッドに触れた僕は
これで下手な歌が上手くなるかもと
そこに一縷の望みを託したのだった。
しかし、そのとき僕の買った本に記されていた方法はなんとも非科学的なもので
真に受けて練習した時間がそっくり無駄になるという代物だった。



だから、実に5年もつづくこの6畳の1Kでのヒモ時代の典型的な一日は次のようになる。
(Yは大学卒業後、国家試験に合格し薬剤師として就職した)


昼夜が逆転した生活のため起床は良くて昼過ぎ、夕方のことも珍しくない


ぐだぐだな時間を過ごす


ギターを手にし好きな曲をコピーしようと試みるが出来ないので、別な曲にとりかかるがまた出来ない


さて本でも読むか。


何度も読み返した本に飽きて寝そべってギターを弾く
音を消したTVで古いアメリカ映画を見ながら、身にならない練習の真似事


そうこうするうちに午後の遅い時間になる


ヴォイトレをするがメソッド自体が精神論みたいなもので、
具体性がないのでいつも不完全燃焼な感じに終わる


さて本でも読むか、もういい加減読み飽きたなこの本は


おっともう外は真っ暗だ、そろそろ買い物にいこう


近所のスーパーへ
この唯一の外出の時間に、僕はお金に余裕があれば
ヤマザキのアップル・パイを買って食べた。
当時百円のそれを喜んで買っている自分が哀れなような、
子供にかえったようでいじらしいようなそんな気がした。


Yが帰ってくるので一緒に夕食。
献立は矢鱈とホイコーローが多かった気がする。



食後TVを見る。


Yはそのうち、先に寝る。


チャンネルを矢鱈と買えながら深夜番組を見る
ビデオに録った竹中直人監督の「無能の人」を何度も見返した。


深夜の映画番組でおなじ映画を2回目に見たときはゾッとした
俺はいつまで、暇つぶしの生活をつづけるつもりなのかと。


オリンピック放送もそうだった、
はじめてYの部屋に来たころTVではオリンピック中継が花盛りだった
それから4年が過ぎ
ふたたびオリンピック放送がはじまったとき
僕は次のオリンピックまでには、この暮らしから抜け出さねばと
さすがに思ったのだった。