8、さいしょの同棲

夏がやってきた
下北沢にも、池の上にも、おまけに僕のアパートにも


僕はギャンブラーのおっちゃんに教えてもらった廃品回収業者から
格安でエアコンを手に入れ
三畳ひと間の自室に取り付けた


電源を入れる、無事入る。
しばらくするとちゃんと涼しい風が出てきた
と思ったとたんにブレーカーが落ちた
落ちたのは二階全体のブレーカーだったみたいで
刺青のお父さんが何事か怒鳴る声が聞こえてきた。


さすがにこのアパートはエアコンに対応していないようだ
それでも暑がりの僕はタイミングをみてはこっそりエアコンを使いつづけた。


涼しくした部屋で
海水浴の時のような格好をして、
必要もないのにカーティス・メイフィールドみたいなサングラスをかけて
ねそべってYが来るのを待っていると
刺青のお父さんの怒鳴り声やら、向かいの兄さんの「行こうよー」の呪文やらが
まるで波音のように心地よく・・・


そう、住めば都ってのは本当に本当で
僕はこの環境にすっかり適応していた。


Yとの関係は順調だった、
当時大学の薬学部の4年生だった彼女は実験につぐ実験に忙殺されていた
僕の方は新聞配達は気楽な仕事ではあったけれど
仕事柄生活のリズムは狂いっぱなしだった


時間を工面して逢えるときはいつもあってはいたが
ふたりともいつも寝不足で赤い眼をしていた。



悪くない生活ではあったが、僕はもう新聞配達が嫌気が差して仕方なかった
理由は飽きたということにつきる
普通はそれでも、ある程度は我慢をするものだろうが
僕には出来なかった。


店長に、すぐにでも辞めさせてくれと言いに行くが
当然、そう簡単には辞めさせてくれない
短気な僕は、早速Yに車で迎えに来てもらうように頼んで
夜逃げを決行した。


言い忘れてたけれど
例の「新しい恋人」つまりYの前の彼女のことは僕の念頭から完全に去っており
Yとのことも告げていないうえに
一切の音信も絶っていた


あとから共通の友人から聞いたところでは「新しい恋人」は
急に連絡の取れなくなった僕を茨城から下北沢に探しにきて
そこにもぬけの殻となった部屋を見つけたらしい


ひどい話だが、僕はその後何度もそれに類する
いやそれ以上に酷い所業をくりかえしたものだ


いや「くりかえしたもんだ」じゃねぇだろうという気はするけど。


ちなみに「新しい恋人」とはその6年後ぐらいに
たまたま再会するが、そのシチュエーションはこれ以上ないぐらいに最悪で
僕は本当に最悪な男となった。
いづれその時が来たら、それは説明しよう。


さて、夏の深夜に辿りついたのはYの住んでた
小田急線鶴川にあるアパートだった。


いくらもない荷物を部屋に運び込んで
いいにおいのコーヒーを入れた

夜当時の深夜番組「ミッドナイト・アートシアター」で「バグダッド・カフェ」をやっていた
真っ暗にした部屋で「バグダッド・カフェ」の画面の光だけが壁に反射していた
Yと一緒にそれを観ていた。


とおくで夏の虫が鳴く声がしていた